2011年02月09日

自然を慈しむこころ

私の好きな日経夕刊1面下の「あすへの話題」というコラムで、先日「宗論」の題で、文化庁長官 近藤誠一氏が書かれていたものに非常に共感を感じましたね。


"外務省の文化交流部長時代に、インドネシアのイスラム学校の高校の先生一〇名を招いた。日本の教育や文化などへの理解を深めてもらうためだ。

滞在を終えた一行の団長が言った。「比叡山の森に一番感動しました。そこには神々が宿り、そこに日本人の精神性の原点を感じたからです。そしてそれはイスラムの教えにも通じるのです」。敬虔な一神教のイスラムびとは、無宗教にみえる日本人を内心軽蔑するのではないかと恐れていた私は驚き、無知を恥じた。彼等は比叡山の森に、言葉にならない何かを肌で感じたのだろう。これはインターネットで映像をみただけでは得られない体験だったに違いない。

『宗論』という狂言がある。異なる宗派の二人の坊さんが旅で一緒になるが、宗派の正当性を巡って言い争いになる。喧嘩は次第に熱を帯び、自分の宗派のお経を大きな声で唱え始める。

興奮した二人は遂に踊りだす。そのうちいつの間にか互いに相手のお経を唱えていることに気づく。二人は我に返り、所詮ともに仏に仕える身と悟り仲直りをする。

他愛のない話だが、これは人間の料簡がいかに狭いものになり得るか、そして日本人には自己の信条に必要以上にこだわらず、立場の違いを理解し、共存を求める資質があることをも示している。これはインドネシアの先生の体験に通じる。比叡山は法然、親鸞など多くの異なる宗派の開祖を生み、そしてイスラムという全く異なる宗教を信じるひとにも感動を与えた。

この日本人のおおらかさ、それを育んでくれる自然を慈しむ気持ち、これこそ宗教・民族紛争や環境問題に直面する今の世界が必要としている心なのではないか。"


このコラムの最後の部分、非常に共感を感じますし、これがこれからの時代、必要な考え方のような気がします。それ故、森羅万象に対しての感謝の心、"おかげさまで"(特定しないものに対しての感謝の念)という昔からの日本の挨拶が大事ですよね。
posted by お坊 at 01:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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